もうすね毛はボーボーでいいです日記

音楽・カルチャー好き母の育児日誌&雑談

勉強はできた方がいいんだろうけどなあ

今日ホットエントリーでこちらの記事

togetter.com

を読んで思ったことがあったので諸々を。

 

「女の子」というよりかは学力?

この漫画の主人公は元いた学校からの進学者が少ない学校(進学校)に進むことによって閉塞感から開放されるのですが、頭のいい学校に進むと見えてくるものが違うっていうのは大いにあるんではないかと思ったんですね。

私自身の話になってしまうんですが、タイで過ごした小学校時代から、急に日本に本帰国することになり、しかもなじみのある関東ではなく関西に住むこととなったわけです。そしてそこの中学が、まあ荒れに荒れた、学力も低い中学で、まあ色々と古いまま凝り固まった学校だったんですね。私がタイから帰国してきた旨を話せば、教員からは「日本語は喋れるのか」と、私が対面で日本語で会話をしているにも関わらずそんな質問をされたり、クラスメイトからは国をよく知らない故に馬鹿にされたりと。その当時は単純にそんな事に怒っていたわけですけど、今思い返すと、自分の無知を棚に上げて、知らないことによる不安を、他者を排除することによって自己保身しようとする姿勢ってのはどうなのと。この漫画を読んで久々にそれらの事を思い出したんでした。

 

多様性への寛容度

これは私の狭い観測範囲内での話なので、社会全般に言えることとは思ってないですけど、学力の高い学校の人は、狭い視野で物事を判断したりする事が少ないように思えます(私の身近にそういう人がいないだけで、実際にはいるのかもですが)。たまにこのブログでも取り上げるうちの父の例なんですが、父は仙台の進学校出身なんですが、高校時代の話を聞くとやはり色々自由で(←あまりに破天荒でここには書けない)、今となっては制服も廃止されて、私服通学なんだそうです。制服の例は一例ですが、夫の音楽仲間にも開成出身の人がいて、学園祭の出し物がとても自由で高度だったり、やはり寛容で風通しが良いなあと感じるわけで。(私はずっと偏差値真ん中ぐらいの人生なので、風通し悪い、ウッウッと苦しんでいたタイプです。ウッ)

 

上の二点から子供の進学について考える

うちの学区の小学校はすごく評判が良くて、実際にうちのマンションで出会う子どもたちも、ものすごーーく礼儀正しい。元気よくこんにちわって挨拶してくれるし、エレベーターで乗り合わせて先に降りるときなんか「さようなら!」って言ってくれるし、良い学校なのだと思うし、近いし、ぜひ行って楽しんでほしい。給食もおいしそうなにおいがするし。

でも中学になるととたんに評判が悪くなる。なにより一番気になるのが「いじめが多い」という情報。いじめ自体がまず悪なのは言わずもがなですけど、人の目を気にして、自分の得意なことだったりやりたいことを我慢しなければならないっていう状況が嫌だなと思います。

なんだかそうなると、中学で受験?ってやつが必要になるのか・・・?なんてうっすら考えたりしていて、子供を産んで受験をさせるなんて考えてもいなかったので、自分でもびっくりしている次第です。勉強はできたほうがそりゃいいと思うんですけど、良い学校に行って良い会社に入って、という人生は息子には求めてはおらず(安定よりも、面白い人生を送ってほしい)、でも自分の自由を確保できる環境に身を置いてほしいという風には考えているので、そうなると学区内の中学はネット上の情報だと不安だなーと思ったり。

ただ、学校の雰囲気も、時期によって全然変わったりするので、今の段階ではなんにもわからないんですけどもね。

 

今日はかたい内容をコチャコチャ書き立てましたが、最近家で息子とよく聞いているのは、オジー・オズボーンのCrazy Trainです。オジーの真似しながら歌ってたら、息子もオジーの真似をするようになりました。